第10回:「正しさ」の罠——改革を志す者が陥る構造について

教員の働き方改革は、正しい。長時間労働の是正、部活動の地域移行、業務の精選——これらの方向性に、多くの教員が賛同するだろう。私もそう思っている。

しかし最近、ふと立ち止まることがある。「正しい」と確信したとき、人は何かを見なくなるのではないか、と。

イデオロギーという言葉の起源

「イデオロギー」という言葉は、18世紀末のフランス哲学者デステュット・ド・トラシーが造語したものだ。語源はギリシャ語の「idea(観念)」と「logos(論理)」。本来は「観念を科学的に検証する学問」を意味していた。

ところがマルクスがこの言葉に批判的な意味を与えた。彼によれば、どの時代においても支配的な思想は、支配的な立場にある者の利益を反映している。そしてその思想は、強制されることなく、社会全体に「常識」「当然」として流通する。搾取される側さえも、その価値観を自発的に内面化してしまう——これを彼は「虚偽意識」と呼んだ。

強制なしに、人は支配的な価値観を「自分の考え」として引き受ける。

グラムシの「ヘゲモニー」

マルクスの議論をさらに深めたのが、イタリアの思想家グラムシだ。彼は問うた——なぜ人は、明らかに不利な状況にあっても、現状を受け入れ続けるのか。

彼の答えが「ヘゲモニー(文化的覇権)」という概念だ。支配は、暴力や強制だけで維持されるのではない。学校・メディア・家族・地域社会といった日常的な場で、特定の価値観が「普通のこと」として再生産され続ける。人々はそれを内面化し、自発的に従う。強制よりも深く、批判しにくい支配のかたちだ。

そしてグラムシはもう一つのことを指摘した。この構造は、現状を変えようとする側にも起きる、と。

改革運動が陥る逆説

正義を掲げるいかなる集団も、やがて自分たちの掲げる理念を「完全に正しい」と確信し始めるとき、内部の問いが失われていく。異論は「仲間への裏切り」に見え、反証となるデータは無意識に軽視され、都合のいい声だけが集まるようになる。

働き方改革で言えば——長時間労働の是正は必要だ。しかし同時に、長く関わることで救われた子どもがいた事実も存在する。部活動が唯一の居場所だった生徒がいた。そうした複雑さを「例外」として処理し始めたとき、改革は純化し、硬直する。

解放を目指した運動が、新たな支配の構造を再生産する——これがグラムシの言う逆説だ。

「私たちは正しい」という確信の強さと、思考の停止は、比例することがある。

矛盾を抱えたまま、進む

では、どうすればいいのか。完全な答えはないと思っている。

ただ一つ言えることがある。自分たちの理念が孕む矛盾を、隠さずに引き受けながら進む集団は、修正能力を持つ。「私たちは正しいかもしれないが、完全ではない」という留保は、運動を弱めるように見えて、実は外部からの批判に対する耐性を生む。

働き方改革を進めながら、その複雑さに目を向け続けること。データの異常値を見逃さないこと。現場の声が理念と食い違うとき、理念の側を問い直す勇気を持つこと。

それは個人の誠実さの問題であると同時に、集団の設計の問題でもある。問いを持ち続けられる場をどう作るか——それ自体が、改革の質を決めると私は思っている。

あなたの職場や組織で、「当然のこと」として誰も疑わなくなっている価値観はないだろうか。それを問うことが、改革の出発点かもしれない。

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