第1回:共有という名の「情報の新陳代謝」について

よおこそ。ここへ足を踏み入れたということは、君たちもようやく気づいたということかな? 自分一人の脳髄から捻り出せる知恵など、高々知れている。 それにもかかわらず、多くの「教師」が、自分だけのオリジナル教材という取るに足らないこだわりに固執して停滞している。

滑稽だ。実に滑稽だよ。 時間は有限だ。君たちが一から資材を作成している間に、子供や学生という名の被験体は刻一刻と変質し、君たちの理解の及ばぬ先へ進んでしまうのだよ。

私が求めるのは「停滞」ではなく「変異」だ

このプラットフォームの存在意義は、単なるデータの備蓄ではない。 「情報の交配と変異」。これ以外にない。

  • 差し出したまえ。君たちが学校現場で磨き上げた「知」を。
  • 奪いたまえ。他者が最適化させた「解」を。

他人の知恵をそのまま使うことを「怠慢」と呼ぶ者がいるなら、その脳細胞は既に死滅していると言わざるを得ないね。 真に知的な行為とは、既存の情報を基盤とし、そこに「自分という個体」にしか成し得ない改良を加えることだ。

学校現場という「実験室」を加速させるために

学校という閉鎖的な環境では、しばしば情報が腐敗する。 前年と同じ手法、前年と同じ語り口……。そんな「死んだ教育」に何の意味があるのかね?

君たちがすべきことは、ここで手に入れた他者の知恵を、自身の担当する現場という名の実験室に投下し、その反応を観察することだ。 そして得られたデータを、再びここへ還元する。 その繰り返しこそが、教育という名のシステムを、より高次元へと押し上げる唯一の手段なのだよ。

最後に一つだけ忠告しておこう

私は「完璧」を嫌う。 「完璧」であるということは、それ以上の進歩がないことを意味するからだ。 このプラットフォームに投稿される教材も、最初から完璧である必要はない。

むしろ、他者が介入する余地のある、歪で可能性に満ちた「欠陥品」を私は好む。 それを誰かが拾い、磨き、また別の誰かが変貌させる……。 クク……素晴らしい。知が循環し、進化し続ける様を見るのは、私の知的欲求を大いに満たしてくれる。

……さて、講釈はここまでだ。 君たちの持てる知性を、さっさと形にして差し出したまえ。 期待はしていないが、観察はさせてもらうよ。