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要約
令和8年6月10日に開催された科学技術・学術審議会人材委員会(第115回)では、令和6年10月から約1年8か月にわたり議論を重ねてきた「新しい時代の科学技術人材に関する基本政策」の最終まとめ案(資料1-1・1-2)が提示され、17名の委員から意見が寄せられた。全体は「人的資本投資への抜本的拡充」「多様な場での活躍環境整備」「大学・研究機関等の組織的役割強化」という3つの基本方針のもと、研究者・技術者・高度専門人材の職種別育成、初等中等教育から高等教育・社会教育に至る教育段階別育成、制度・システム改革という3本柱で構成され、EPOCH(先端研究基盤刷新事業)、INSIGHT(産業・科学革新人材事業)、SPRING(次世代研究者挑戦的研究プログラム)、STELLA(次世代科学技術チャレンジプログラム)など個別事業の具体化状況が盛り込まれている。中間まとめ以後の追記点として、AI for Science、ELSI(倫理的・法的・社会的課題)の位置づけ強化、技術職員・研究開発マネジメント人材に関する人事制度ガイドラインの策定、リサーチアシスタント(RA)雇用促進のための府省申合せ改正などが報告された。
委員からは総論としては高い評価が示された一方、具体化の水準や実行可能性をめぐって多くの論点が提起された。KPIや定量的指標の設定(武田委員)、タイムラインの明確化(和田主査代理、波多野委員)、RAの給与水準の低さ(湊委員、玉田委員)、女子生徒の理系進学率における地域間格差(湊委員)、ELSIや人文社会科学系の位置づけが狭く矮小化されるリスク(玉田委員、唐沢委員)、事務職員の位置づけの不明確さ(稲垣委員、宮崎委員)、AI活用の記述が箇所によって濃淡がある点(杉山委員、波多野委員)など、報告書の網羅性を評価しつつも実装段階での曖昧さを指摘する発言が相次いだ。最終的な文言修正は狩野主査に一任される形で会議は終了したが、現場実装の観点からは、以下に述べるような構造的な懸念がなお残されている。
現場視点の一般的な懸念
懸念1:施策の累積的追加に対し、実行を担う人的体制の手当てが不透明である。 EPOCH、INSIGHT、STELLA、SSHの類型再編など、中間まとめ以後だけでも複数の新規・拡充事業が並行して走っており、これらを大学現場で運用するコーディネーター、URA、事務職員等の体制整備は「ガイドラインの周知・展開」という表現にとどまる箇所が多い。川越委員はSTELLA支援終了後の資金と人(コーディネーター)の継続確保が課題になると指摘しており、施策数の増加が現場の運用負荷にどう跳ね返るかについての総量管理的な視点は本文からは読み取りにくい。
懸念2:定量的指標(KPI)導入の要請に対し、学術分野における適切な指標設計の方法論が示されていない。 武田委員は経営戦略の観点からKPI設定と評価サイクルの重要性を強調したが、狩野主査自身が応答で「学術における黒字化とは何か」という指標設計の根本的な難しさに言及しており、誤った指標を設定した場合に現場の努力の方向性を歪めるリスクが会議内でも共有されている。にもかかわらず、本文中に指標設計の考え方やフレキシビリティの担保方法についての具体的な記述は乏しい。
懸念3:RA雇用促進が謳われる一方、待遇水準の低さという構造的課題への財源的手当てが弱い。 湊委員や杉山委員が指摘するように、RAの受給額は年間20万~40万円程度にとどまっており、府省申合せの改正や競争的資金公募要領への反映は進んでいるものの、科研費など基盤的な資金におけるRA人件費の増額といった具体的な財源措置には踏み込んでいない。宮崎委員が指摘するように、個々の大学がRA給与水準をばらばらに設定すればコミュニケーションコストが大学間格差を生み、国による統一的な枠組み設定が望まれるが、この点も検討課題として残されたままである。
懸念4:地域間格差が女性の理系進学支援において構造的に未解決である。 湊委員は、女子生徒の理系進学率向上策が「地方から大都市への人材流出」を前提とした議論に陥りがちであり、親元を離れたくない・離したくないという地域特有のバイアスが理系進学断念の背景にあることを指摘した。本文の女性活躍関連の記述は環境整備・処遇改善が中心であり、地域構造に根差した進学阻害要因への対応は明示的でない。
懸念5:AI活用の記述に箇所ごとの濃淡があり、体系的な位置づけが後追いになっている。 杉山委員が指摘したように、技術士のスキル要件にはAI活用が明記される一方、研究開発マネジメント人材の項目にはAIへの言及がない。波多野委員が提案した「Science for AI」(AIの構造・倫理を理解し社会を導く人材育成)の視点も、最終まとめの本文には明確な形で反映されていない模様であり、AI時代の人材要件が事業横断で統一的に整理されているとは言い難い。
懸念6:ELSI・人文社会科学系の位置づけが、理系分野への「社会実装支援」役に矮小化されるリスクを内包している。 玉田委員、唐沢委員がともに指摘したように、ELSIが目立つ形で盛り込まれたこと自体は評価されつつも、その運用次第では人文社会科学系が「科学技術の社会受容を助ける役」という狭い位置づけに固定化されかねない。唐沢委員は、人社系研究者が科研費相当の研究者番号を持ち理系と対等な立場で共創研究を行えるファンディング設計が必要だと述べているが、本文中の制度設計は「今後の議論」に委ねられている部分が多い。
懸念7:個別ガイドラインの策定が先行し、実施時期・財源規模の明示が追いついていない。 INSIGHTの拡充は「今後検討」とされ、基金造成が3年分にとどまることが奥人材政策課長から明かされている。技術職員・研究開発マネジメント人材のガイドラインについても、周知・展開の進捗を測る具体的な達成目標や期限は示されていない。和田主査代理、波多野委員が繰り返しタイムラインの必要性を訴えているのは、まさにこの「方向性は示されたが実行計画が伴っていない」という現場の不安を反映したものと言える。
改善提案
提案1: 事業の新規追加・拡充を行う際には、大学現場における運用人員(コーディネーター、URA、事務職員等)の必要工数を事業ごとに試算し、複数事業の重複負荷を可視化した上で、体制整備予算を事業予算とセットで確保する仕組みを導入すべきである。
提案2: 学術分野に適したKPI設計のガイドラインを別途整備し、指標の硬直化を避けるための定期的な見直しプロセス(何年ごとに、誰が、どう見直すか)をあらかじめ制度に組み込むべきである。単一の数値目標ではなく、複数指標を組み合わせた評価枠組みの検討が望ましい。
提案3: 科研費をはじめとする基盤的競争的資金において、RA人件費分の増額を明示的な制度要件として位置づけるとともに、大学間のRA給与水準について国が参考基準(レンジ)を示すガイドラインを整備し、大学ごとの個別調整コストを軽減すべきである。
提案4: 女子生徒の理系進学支援策について、都市部への人材集中を前提とした施策に加えて、地方在住のまま理系進学を継続できる環境整備(オンライン教育連携、地域大学との連携プログラム等)を明示的に位置づけ、地域間格差の是正を独立した政策課題として扱うべきである。
提案5: AI活用に関する人材要件を、研究者・技術者・研究開発マネジメント人材・高度専門人材の全カテゴリーで統一的に整理した一覧を作成し、「AIを使う人材」と「AIを理解し設計・評価できる人材」を区別した育成方針を本文に明記すべきである。
提案6: ELSI関連ファンディングにおいて、人文社会科学系研究者が理系と対等な立場(研究代表者・共同研究者双方の資格)で参画できる制度設計を明文化し、人社系の応募可能な資金の件数・金額を理系分野と比較検証した上で、格差是正の数値目標を設定すべきである。
提案7: INSIGHT、EPOCH、研究開発マネジメント人材・技術職員ガイドライン等、既存の個別施策について、それぞれの実施期限・予算規模・達成目標を一覧化した工程表を最終まとめに添付し、次年度以降の委員会でフォローアップ状況を定期報告する仕組みを制度化すべきである。
人材委員会(第115回)議事録
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu10/gijiroku/mext_00028.html


